Call me by your name

 

君の名前で僕を呼んで

つまり自分自身なのだろう。一心同体。

本能とか生殖ホルモン支配からくる人間の営みとは全く別次元の、高尚な心理、純度の限りなく高い引力。
一番に温かく見守っているのは、明るくて繊細な母、と思いきや、父親は、恋しいもう一人の自分を求めることもできず、自ら引き裂かれたままにしてしまった、もげた心と体を隠し持つというショッキングな告白。血を流し続ける患部は、長い時間をかけて乾き固まり、季節ごとに疼くのだろう。嘗ての悲痛な秘密、自分自身でいられない苦しみをエリオに伝えた。

でも、もしかしたら。
その夫を包み込む広く深い理解、妻の感受性が漂っていたからこそ、あの、美しいガーデンの朝食シーンが、あれほど透明に映ったのかもしれない。

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ジュエリーの存在。

 

歳を重ねた人間の広がるオーラの種類は、温かさや知性、経験による感情の深みと奥行き感だと思う。

年齢が進むと当然、肉体においては 弾ける輝きは失われがちになるけれど、その美しいオーラを分かりやすく表現してくれる、優しく麗しい鉱物や、酸いも甘いも知り尽くした艶を携えるバロックパールの光と質感が、地球に存在する。若く浅はかな心のフォトンを持つ者には到底とけ込めない”強い在り様”を発散する。

 

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connie x HERBPARIS

 

ただし、イブニングドレスをほとんど着ないわたしたちなら、数百万のジュエリーをたくさん欲しがることはないし、宝飾品を財産として持つこと自体が、何だか美しくない。
だから、H E R B P A R I S では、躯体をシルバーにして、c o n n i e に遊びのラインを作ってもらった。白いシャツに洗いざらしたジーンズ、そして、着ける人自身の一部となるジュエリーを通して、自由に軽やかに生きて欲しい。

 

香りの秘密

molecule 01というかなりマニアックなフレグランスを知り合いの美容ライターさんから教えてもらったのが、3年前。その印象深い出会いからすぐに、常に意識に上らない「わたしの匂い」として定着してしまった。どんな香りかというと、ウッディで官能的というくらいしか説明できない。どうやら人の個性(あらゆる意味において)に大きく影響されるようで、その上この香水、つけた瞬間も含め自覚がない、というかできない。ところが、シュッとひと吹きで十分で、それ以上になると(自身では感知できないのに)強烈に自己主張、無言で多言を繰り広げてしまう。印象的な出会いと言っても、彼女の香りが強かったわけではない。時折、薄く漂う…頼りな気で微かな… 絶対にどこから来るのか元を知りたいと、話も上の空で探し求めてしまう薫香。長い間一緒にいても、そのジャケットからだ!と確信するのに呆れるほど時間がかかり、そして彼女はその日は何もつけていなくて、数日前のことだと知り、更に驚いた。それまでの香水の類では経験のない、強い個性なのにどこまでも儚いというイメージが衝撃的だったから。

そのパッケージは、記録を呼び戻す脳神経、シナプスの形を施してデザインされたという。香りは”感情の記憶”も連れてくる。すれ違いざまに誰かを想い出したり、一瞬で過去へワープしたり。経験すると、香りを纏う価値に目覚めるのだけれど、これが実に、日本人には特に、本当に難しい。
香りの種類は、選ぶ人の嗜好を語るし、品格を表す。相応しくなければ、未熟さ、悪趣味度合いが露呈してしまうことがある。

衣類の柔軟剤も含め、長年、香らない選択をしていた時代にも、作り込まれたものではない「天然の芳香」は活用していた。身につけるというよりは、素肌にすり込む形で、ローズマリーやレモングラスのスパイシーブレンド、もしくはフラワリーなダマスクローズとネロリエッセンシャルオイルを高濃度で希釈したマッサージオイルを。
角質に染み入った清香なら、体温が上がった時にふわっと立ち上がる。

天然の芳香は、ただ気分を変えるのではなく、化学的に体内で働くのだ。
鼻から吸引された芳香成分は、脳の視床下部に着くと電気信号に変わり、自律神経などに作用するというデータがあり、人が「いい香り!」と感じた瞬間から、体の中では化学変化が始まっている。
これは香水と違って、「好きな香り」であれば誰でも簡単に応用できる、魔法。
例えば、ローズマリーの香りが好きな意中の彼に、天然成分100%でできたローズマリーのシャンプーをプレゼントしたとする。彼はシャンプーする度、贈り手のことを思うかもしれない。その体内で起こる浄化作用と一緒に記憶に刷り込まれることになる。キャロルプリーストのシャンプーは3,500円するけれど、ちょとしたお菓子やお酒を送っても数日でなくなるというのに、純度と鮮度の高いローズマリーの香りは 3か月以上、毎日、毎晩、”超プライベートな空間”であるバスルームいっぱいに「想い」が続く。

考えただけで、ドキドキしてくる。

洗練。

エルメスやグッチのようなヨーロッパ メゾンのバッグや靴なども、まだ並行輸入の時代。
当時19歳のわたしは、六本木の輸入雑貨を扱う会社でアルバイトをしていた。
ある日銀座メルサにヴィトンのロールとボストンを納品に行く社有-ドイツ-車の中、交差点の反対側で信号待ちをしているちょっと目立ってカッコいい女の子を、運転席の社員の先輩が指差し、
「レノマのバッグを左腕で挟んで、髪かきあげてさ」
日焼けした肌に、限りなく白に近いパールピンクのルージュがよく似合う。ハイウエストで膝から下が大胆なフレアの、これまた限りなく白に脱色されたブルージーンズ履いている。
「モデルさんですかね」というわたしの返事を無視して、
「あの子もあと5年くらいしたらさ、ミラショーンのバッグ持って、バルマンのブラウスとか着るんだよ」
スモーキーグレーの絹地に淡いブルーやピンクの花々が繊細に描かれたグッチの細いネクタイをした彼の、
「結局行き着くところは、エレガンスなんだよな」
が、なぜかショッキングに響いて、今でも耳に残っている。

その頃の記憶は殆ど曖昧なのに、この短いやりとりやヴィジュアルだけは鮮明に蘇る。あの時の先輩が、どのくらい意味を持って言っていたかは計り知れないけれど、お洒落な人がより洗練されると「エレガンスに行至る」理由をずっと考えていた気がする。

エレガンス = 優雅、気品、典雅、品格。

歳を経るにつれ、ただの、白人仕様のエレガンスはつまらないと感じるようになってきた。
本物のエレガンスとは、究極の他者への思いやりなのだろうが、世界共通、民族を超えた優雅とは、誰の目にも美しく、はっとさせられる魅力のことではないか。
どんなに理解に苦しむセンスの言動をする人々の国であったとしても、公式行事とか民族の舞踊をライブで鑑賞すると圧倒されるように、その人の価値観が生んだ美、灼熱の太陽と環境が創り出した花の「複雑な形や色」の如く、プリミティブな完成度に戻っていく。
「プリミティブに完成する」と言っても野生に帰るのではなく、いちいち神聖な存在に気づき、いちいち大事に想い、いちいち感謝して、そして自身の資質をいちいち磨くことで、

洗練とは、プリミティブな個性美を限界まで押し伸ばすことではないだろうか。「それぞれの楽しみ」で「他者に違う価値観を楽しませる」プレゼンテーションに違いないと。

ポーランドからの手紙。

友人の堺玲子さんのおかげで、最近、ポーランド人の知り合いが一気に増えた。先日は、イタリアやフランスでも活躍しているプロダクトデザイナーのアーシャが、東京都のアートプログラムの招待で 一ヶ月間東京に滞在し、濃い数週間を一緒に過ごした。
アーシャの視点、興味、思考回路全てが刺激的で嬉しくて、独特の感性に引きずられる日々は、非日常、異次元へワープしたよう・・。

堺玲子さんの人生において、彼女の無意識な”理想”がもたらす現象。わたしのストリームにも繰り広げられる、思いがけない特別な成り行きや未知のコンセプトに触れる機会。その豊かな “余波” が、

もっともっと自由に、夢を追いかける集中力と臨場感を呼び起こし、皮膚感覚を伴って じわじわと浸透してくる。

 

写真は、堺玲子さんの作った、ビーツのスープ。ナチュラルなヴィヴィッド レッドが美しい。偶然にもアーシャの手土産もビーツの水煮。(笑)
ビーツは最近日本でも手に入るようになったらしい。夏から秋の収穫。

く び す じ

首前面の筋肉の劣化に気づき、対処する。
自ずと皮膚も老化を(それなりではあるけれど)遅らせることには繋がっていると実感できる。
中国医や香港のマッサージ師、IFPA(APA香港)漢方講師からの請け売り集大成として、

「体中の首という首を鍛える」

と首の美しさを保ち、脳を活き活きと働かせ、新陳代謝のサーキュレーションを正常にすると言える。
中国では、手首、足首、加えてウエストも首の反射区(言われてみれば首の形とよく似ている、肋骨の下から骨盤まで。差し詰め肋骨が頭蓋で骨盤は鎖骨となる)とされ、それぞれを強化することによって、重い頭を支える筋肉を刺激する。

もちろん、首自体も -水平仰向に寝て(上下の歯は軽く噛み合わせ)口から息をゆっくり吐きながら(イーっとかやりながら吐ききるまで)ゆっくり頭を持ち上げる- 運動で、緩みがちな筋肉も引き締まり、皮膚のたるみが改善される。

ただし、肩こりや首に痛みがある時は、逆効果、傷めることになるので要注意。

しかし、直接 首を鍛えることができなくても、反射区という末梢神経の存在によって、他の”首”を温めたり、回したり、筋トレしたりすると、同等の作用が、弱り固まった本体に施されるという仕組み。それは、メンテナンスが行き届いた腹筋を維持する人の首は、概して筋肉質的であることからも 納得がいく。

長い年月の間には大きな差異が生じ、延いては、体全体の補完にもつながる。

女心と秋の空。

抜けきらない湿度を残しながらも、朝、爽やかな青空と日差し。
正午、気がつけば、空をびっしり覆うグレーのグラデーション。地上では風も感じなかったのに、上空の隠された自然現象、ドラスティカリーな変化に驚かされる。

女心と秋の空。

久しぶりに脳裏に浮かび、鼻で笑ってしまう。
女の心が変わるのは、自然現象と同等のリーズナブルな成因があったのだ!
ホルモン変化やストレスの影響は自律神経を狂わし、(後から考えると自身も驚かされる)無意識な自己防衛言動を発して、思いもよらない結果を招くことがあるけれど、言わば生体反応の範囲、自然の節理なのだと気づく。

それに加えて。女は、感情を蓄積する。
(自覚の有無も含め)不快だとか嫌だと感じたことを木の年輪のように S A V E し続け、或る日突然、直感がレッドカードを出してくる。男の場合は、イエローカードも指し示してくるので分かりやすいのだけれど、女はいきなりレッド。退場を余儀なくする!
心の気流、密かに大変化を起こしている、積もり積もる、じわじわ進む、インヴィジブルな現象。はたして、どれだけの男が気づいているだろう、秋の空だって本当は刻々と移り変わっていたのであるということを。

男が作り出した社会で働く。心身ともに健康で、(結婚して、もしかしたら子育てもして)何があっても自分自身でいるためには、まず、毎日少しだけでも、内側に向け集中する一瞬を作ることではないか、って思う。料理、掃除、ヨガ、読書、畑づくり、ガーデニング、水泳、ジョギング、英会話。無になれて心の中に深く潜って行くような。
好きなものを食べるとかお酒を飲むとかゲームをするとか、現実逃避ということではなく。